ケルビーニ《レクイエム ハ短調》徹底解説|ベートーヴェンが讃えた「王のための鎮魂曲」
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どうも、バス歌手の氷見 健一郎です。
モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ、ブラームス――「レクイエム」と聞いて思い浮かぶ作曲家は何人もいます。
しかし、19世紀の音楽家たちが最高峰の一つとして敬意を払っていたのに、現在の日本では演奏機会が決して多いとはいえない作品があります。
それが、ルイジ・ケルビーニの《レクイエム ハ短調》です。
この作品を高く評価した音楽家の筆頭が、ベートーヴェンでした。
指揮者・音楽学者のマーティン・パールマンによる解説では、ベートーヴェンは、自分がレクイエムを書くならケルビーニの作品を唯一の手本にする、という趣旨の言葉を残したと伝えられています。1827年にベートーヴェンが亡くなった際には、実際にこの曲が追悼の場で演奏されました。
ところが、このレクイエムには声楽の独唱者が一人も登場しません。
王の追悼という国家的な儀式のために書かれながら、特定の人物を音楽の主役にせず、合唱全体が死者のために祈る――。その設計こそ、この作品を特別なものにしています。
この記事では、マイケル・スタインバーグの著書『Choral Masterworks』、マーティン・パールマンによるBoston Baroqueのプログラムノート、ヴォルフガング・ホッホシュタイン校訂のCarus批判校訂版など、執筆者・校訂者が明らかな海外資料を参照しながら、作曲者ケルビーニ、作品成立の背景、全7曲の内容と聴きどころを解説します。
ケルビーニ《レクイエム ハ短調》の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作曲者 | ルイジ・ケルビーニ(Luigi Cherubini, 1760–1842) |
| 原題 | Requiem in C minor/Missa pro defunctis |
| 作曲年 | 1816年 |
| 初演 | 1817年1月21日、サン=ドニ大聖堂 |
| 作曲の目的 | フランス国王ルイ16世の命日を記念する追悼式 |
| 編成 | 混声四部合唱、管弦楽 |
| 独唱 | なし |
| 構成 | 全7曲 |
| 演奏時間 | 約45〜50分 |
作曲者ルイジ・ケルビーニとは

ルイジ・ケルビーニは1760年にフィレンツェで生まれ、人生の大半をパリで過ごした作曲家です。
出身はイタリアですが、単純に「イタリア・オペラの作曲家」と説明するだけでは足りません。
イタリアで対位法とオペラの基礎を身につけた後、20代でパリへ移り、フランス語オペラ、革命期の公共音楽、王政復古期の宗教曲、さらに音楽教育へと活動の場を広げました。
代表的なオペラ《メデア》には、古典派的な構築力と、のちのロマン派を予告するような強烈な劇性が共存しています。
ケルビーニが生きたのは、モーツァルトの晩年から、ベートーヴェン、シューベルト、ベルリオーズ、若いワーグナーの時代までを含む長い期間です。
そのため彼の音楽には、古典派の均衡と厳格な対位法、フランス革命後の大規模な儀礼音楽、初期ロマン派の劇的な音色感覚が重なっています。
1795年の創設時からパリ音楽院に関わり、1822年には院長に就任しました。対位法とフーガの教本も著し、作曲家であると同時に、19世紀フランスの音楽教育を形づくった人物でもあります。
現在ではケルビーニの名前が《メデア》と《レクイエム》を除いて語られる機会は多くありません。
しかし同時代には、ベートーヴェンから「生存する作曲家の中で最も優れた存在」とまで見なされた、音楽家からの評価が非常に高い作曲家でした。
フランス革命で処刑されたルイ16世のためのレクイエム
この作品が書かれた背景には、フランス革命と王政復古があります。
ルイ16世はフランス革命のさなか、1793年1月21日に処刑されました。王妃マリー・アントワネットも同じ年に処刑され、二人の遺体は王家の墓所であるサン=ドニではなく、共同墓地に埋葬されます。
その後、ナポレオン失脚後の王政復古によってルイ18世が即位すると、ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸が捜索され、1815年にサン=ドニへ改葬されました。
王政復古政府は、ルイ16世の命日を記念する大規模な追悼式を計画します。そのために作曲を依頼されたのが、王室礼拝堂の音楽監督となったケルビーニでした。
《レクイエム ハ短調》は1816年に完成し、1817年1月21日、ルイ16世処刑から24年となる日にサン=ドニ大聖堂で初演されました。
つまりこの作品は、抽象的に死者一般を悼むためだけに書かれたのではありません。
革命によって断絶した王権の記憶を、王政復古後のフランスが宗教儀式によって再び社会の中へ位置づける――その政治的、歴史的な場に置かれた音楽でした。
ただし、ケルビーニの音楽は単純な王権賛美には収まりません。
個人名を歌うことも、英雄的な独唱者を立てることもなく、死、審判、恐れ、祈りというレクイエム本来の主題へ集中しています。
特定の王のために書かれた音楽が、個人を超えた普遍的な死者の祈りとして残った。そこに、この作品の奥深さがあります。
独唱者がいない

モーツァルトやヴェルディの《レクイエム》では、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者が重要な役割を担います。
しかし、ケルビーニの《レクイエム ハ短調》には独唱パートが一切ありません。すべての言葉を混声四部合唱が歌います。
マーティン・パールマンは、この編成について、ケルビーニがそれまでのオペラ作曲家としての人生から可能な限り離れたかのようだ、と述べています。
もちろん、ケルビーニ自身がその意図を明確に説明したわけではないため、「オペラ的表現を完全に否定した」と断定することはできません。
それでも、音楽上の効果は明確です。
独唱者が登場すると、聴き手はその声を一人の人間の告白や祈りとして受け取ります。一方、この作品では、恐怖も嘆きも赦しへの願いも合唱全体が担います。
そこに聞こえるのは、一人の英雄の声ではなく、共同体の声です。
国家的な追悼式のための音楽でありながら、主役は王でもスター歌手でもない。祈る人々そのものが音楽の中心に置かれています。
暗い音色を生む独特のオーケストレーション
全曲の基本編成は、混声四部合唱に、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、タムタム、弦楽器です。
特徴的なのは、フルートが使われていないことです。
さらに冒頭では、ヴァイオリンや明るい響きを作る一部の管楽器まで抑えられ、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ファゴットなどを中心とした暗い音色が支配します。
高音から光を降り注がせるのではなく、低い場所から祈りが立ち上がってくるような響きです。
その一方で、《怒りの日》では金管楽器と打楽器が一気に前面へ出ます。
静けさと爆発を、単純な音量差だけでなく、使う楽器の色そのものによって描き分けているのです。
古典派らしい節度を保ちながら、音色を劇的な意味として扱う点には、ベルリオーズやヴェルディへ向かう19世紀のレクイエムの出発点を見ることができます。
全7曲の構成と聴きどころ

第1曲 Introitus et Kyrie(入祭唱とキリエ)
作品は、華やかな前奏ではなく、深く沈んだ管弦楽の響きから始まります。
合唱も低い音域を中心に、ほぼ一つの身体のように「Requiem aeternam――永遠の安息を」と歌い出します。
ここでは、旋律の美しさを前面へ押し出すというより、音の塊がゆっくりと呼吸しているように聞こえます。独唱者を置かないという作品の思想が、最初の数分ですでに示されています。
「Kyrie eleison――主よ、憐れみたまえ」に入ると、声部の動きは少しずつ広がります。それでも感情を劇的に誇張せず、祈りの姿勢を崩しません。
第2曲 Graduale(昇階唱)
「永遠の安息を与えたまえ」という言葉が再び現れる短い楽章です。
低弦を中心とした抑制された響きと、下降する旋律が、冒頭の暗い世界をさらに深めます。
大規模な《怒りの日》へ入る前に、聴き手の視界をいったん狭め、静かな緊張を高める役割を果たしています。
ケルビーニの自筆譜には、この後に典礼のTractusを唱えてから《Dies irae》へ進む趣旨の指示があります。演奏によっては、グレゴリオ聖歌によるTractusを補って上演する場合もあります。
第3曲 Sequentia: Dies irae(続唱「怒りの日」)
この作品で最も有名な場面です。
静かな世界を引き裂くように金管楽器が鳴り、タムタムの一撃が最後の審判を告げます。
タムタムは全曲を通して常に鳴り続けるわけではありません。決定的な瞬間に置かれた一撃だからこそ、強烈な意味を持ちます。
初演当時には、あまりに劇場的で教会音楽にふさわしくないと感じた聴衆もいたと伝えられています。
しかし、《Dies irae》全体が激しいまま進むわけではありません。
審判の恐怖、ラッパの響き、死者の復活、罪の告白、救いへの願い、涙の日――長大な詩の場面ごとにテンポ、調性、声部の密度、オーケストラの色が変化します。
この「一つの楽章の中に多くの場面を作る」手法には、オペラ作曲家として培われたケルビーニの劇的感覚が表れています。
一方で、独唱者によるアリアには分かれません。個人のドラマへ分解せず、合唱が一貫して人類全体の恐れと祈りを歌うところが、ヴェルディ《レクイエム》との大きな違いです。
第4曲 Offertorium(奉献唱)
全曲の中心となる、規模の大きな楽章です。
冒頭の「Domine Jesu Christe――主イエス・キリストよ」では、死者の魂を地獄の苦しみと深い淵から救ってほしいという切実な祈りが歌われます。
やがて「Quam olim Abrahae――かつてアブラハムとその子孫に約束されたように」という言葉が、緻密なフーガへ発展します。
ケルビーニはパリ音楽院で対位法を教え、その教本を残した人物です。しかし、ここでのフーガは学問的な技法の展示ではありません。
声部が次々と加わり、約束の言葉を追いかけることによって、「救いを求める祈り」が集団的な運動へ変わります。
中間の「Hostias et preces――賛美の供え物と祈りを捧げます」では、音楽は再び穏やかになります。
その後、フーガが戻ることで、楽章全体が大きな建築物のように閉じられます。
古典的な構築力と宗教的な劇性が最も見事に結びついた部分です。
第5曲 Sanctus et Benedictus(サンクトゥスとベネディクトゥス)
「聖なるかな」と神を讃える、短く明るい楽章です。
ここでは、それまで抑えられていた光が急に開かれます。金管楽器を伴う堂々とした響きには、王室の儀礼音楽を思わせる壮麗さもあります。
しかし長大な勝利の音楽にはせず、簡潔にまとめられています。
悲しみを忘れるほどの歓喜ではなく、暗い全曲の中に一瞬だけ開く天上の空間のようです。
第6曲 Pie Jesu(慈悲深きイエスよ)
「慈悲深き主イエスよ、彼らに永遠の安息を与えたまえ」と祈る静かな楽章です。
フォーレやデュリュフレの《レクイエム》ではソプラノ独唱で知られるテキストですが、ケルビーニはここでも独唱者を置きません。
声部の一部がアリアのように浮かび上がる場面はあっても、それは最終的に合唱全体の祈りへ戻っていきます。
《Dies irae》の恐怖や《Offertorium》の複雑な構築を通過した後だけに、この単純で内向的な音楽が深く響きます。
第7曲 Agnus Dei et Communio(神の小羊と聖体拝領唱)
終曲は「世の罪を取り除く神の小羊よ、彼らに安息を与えたまえ」という祈りです。
通常の宗教曲であれば、最後に救済の確信を示す壮大な終結を想像するかもしれません。
しかしケルビーニは、音楽を勝利へ導きません。
冒頭の暗い記憶が戻り、合唱とオーケストラは長いディミヌエンドの中で、少しずつ遠ざかっていきます。
音楽が結論を宣言するのではなく、死者のための祈りが人間の耳に届かない場所へ消えていくような終わり方です。
ベルリオーズは、この終結を同種の音楽の中でも比類のないものとして高く評価しました。
最後に残るのは、解決したという安心ではありません。
恐れも悲しみも抱えたまま、それでも永遠の安息を願い続ける静けさです。
ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが評価した作品

初演後、《レクイエム ハ短調》は大きな成功を収め、19世紀前半のフランスでは追悼音楽の代表的な作品となりました。
ベルリオーズによれば、フランスの追悼演奏会でほとんど独占的な地位を得るほど頻繁に演奏されたといいます。
ベートーヴェンはケルビーニを同時代最高の作曲家の一人として尊敬し、このレクイエムを自作の手本にしたいと考えていました。
1827年のベートーヴェンの追悼式で作品が演奏されたことは、その評価を象徴する出来事です。
シューマンはこの作品を「比類がない」と評価し、メンデルスゾーンやブラームスも高く評価しました。
彼らが惹かれたのは、単に《Dies irae》のタムタムが劇的だったからではないでしょう。
厳密な対位法、明確な形式、テキストに沿った音色、過剰にならない感情表現――そのすべてが一つの建築として組み上げられている点に、作曲家たちはケルビーニの技量を見ていました。
もう一つの《レクイエム ニ短調》との違い
ケルビーニには、もう一曲のレクイエムがあります。
1834年、作曲家ボワエルデューの葬儀で《レクイエム ハ短調》を演奏しようとした際、パリ大司教が女性の声を含むことに異議を唱えたとされています。
そこでケルビーニは1836年、自分自身の葬儀のために、テノールとバスによる男声合唱の《レクイエム ニ短調》を作曲しました。
- 《レクイエム ハ短調》:1816年、混声合唱、ルイ16世追悼のため
- 《レクイエム ニ短調》:1836年、男声合唱、自身の葬儀を念頭に作曲
一般的な知名度は第1番の方が高いものの、第2番も低声の響きを生かした独自の作品です。
バス歌手・合唱の視点から見た魅力

この作品にはバス独唱がありません。
しかし、低声は全曲の性格を決める非常に重要な存在です。
冒頭の暗い響きでは、バス声部が祈りの地面を作ります。《Dies irae》では、金管と打楽器の中でも言葉の輪郭を失わない強さが必要です。
《Offertorium》のフーガでは、低声が音楽の構造を支えながら前進させます。
そして終曲では、大きな声で威圧するのではなく、ディミヌエンドの中でも響きの芯を保ち、音楽を静かに手放さなければなりません。
低音が目立つために歌うのではなく、全員の祈りが成立する場所を作る。
ケルビーニのレクイエムは、合唱におけるバスの本質的な役割をよく感じられる作品だと思います。
ケルビーニのレクイエムは何が特別なのか

モーツァルトの《レクイエム》には、未完の作品が持つ切迫感があります。
ベルリオーズには、空間そのものを揺らす巨大な音響があります。
ヴェルディには、人間の恐れを舞台劇のように描く激しさがあります。
フォーレには、死を安息として受け止める柔らかな光があります。
それに対してケルビーニが描くのは、暗い石造りの聖堂に集まった人々が、歴史の傷を抱えながら一つの声で祈る世界です。
王のために書かれたのに、王を英雄として描かない。
オペラ作曲家が書いたのに、独唱者を置かない。
激しい《Dies irae》を持つのに、最後は勝利ではなく、ほとんど聞こえない静寂へ消えていく。
このいくつもの逆説が、《レクイエム ハ短調》を単なる「忘れられた名曲」ではなく、ほかのどのレクイエムとも違う作品にしています。
ベートーヴェンが手本と考え、シューマンやブラームスが敬意を払った理由を、ぜひ実際の音で確かめてみてください。
参考文献・資料
- Michael Steinberg, Choral Masterworks: A Listener’s Guide, Oxford University Press, 2005
Oxford Academic掲載情報 - Martin Pearlman, “Cherubini’s Requiem in C minor,” Boston Baroque Program Notes
Boston Baroque - Wolfgang Hochstein(校訂・解説), Luigi Cherubini: Requiem in C minor, Carus 40.086
Carus-Verlag作品情報 - Nicole Däuber, “Cherubini’s Risk,” Carus-Verlag, 2016
Carus Blog - Luigi Cherubini, Requiem in C minor(楽譜・作品基礎情報)
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