ヴェルディ《聖歌四篇》を徹底解説 オペラ王が晩年に残した4つの祈り

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どうもバス歌手の氷見 健一郎です。

ヴェルディ最後のオペラ《ファルスタッフ》は、「世の中すべて冗談だ」と笑い飛ばす大フーガで幕を閉じます。

では、ヴェルディの創作もそこで終わったのでしょうか。

実は、その後に彼が完成させた重要な作品の中には、聖母の悲しみを歌う《スターバト・マーテル》と、神をたたえながら最後には人間の恐れと祈りへ沈んでいく《テ・デウム》がありました。

それらを、先に書かれていた2曲とともにまとめたのが《聖歌四篇》——原題《Quattro pezzi sacri》です。

ここにいるのは、オペラの技法を捨てて敬虔な教会音楽へ戻ったヴェルディではありません。

ルネサンス以来の対位法、説明のつかない「謎の音階」、ダンテの詩、劇場を揺るがす管弦楽、そして老境に入った人間の死への恐れ。それらを一つの作品集の中に並べた、驚くほど実験的なヴェルディです。

今回は《聖歌四篇》がどのような作品なのか、成立の経緯、4曲それぞれの聴きどころ、初演にまつわるエピソード、そして低声部から聴く面白さまで詳しく解説します。

ヴェルディ《聖歌四篇》とは

《聖歌四篇》は、ヴェルディが晩年に作曲した4つの宗教的声楽作品をまとめた曲集です。

イタリア語の《Quattro pezzi sacri》を直訳すれば「4つの聖なる小品」。日本では《聖歌四篇》《四つの宗教曲》などと呼ばれています。

全曲の演奏時間は、およそ35~40分です。

作品名言語・テキスト編成作曲時期
第1曲Ave Maria/アヴェ・マリアラテン語の聖母マリアへの祈り4部混声、無伴奏1889年、1897年改訂
第2曲Stabat Mater/スターバト・マーテル十字架の下で嘆く聖母を描くラテン語続唱混声合唱、管弦楽1896~1897年
第3曲Laudi alla Vergine Maria/聖母マリアへの賛歌ダンテ『神曲』天国篇第33歌4声の女声、無伴奏1886~1888年頃
第4曲Te Deum/テ・デウムラテン語の賛歌《Te Deum》二重混声合唱、管弦楽、短いソプラノ独唱1895~1896年

この表だけでも、少し変わった作品集であることが分かります。

ラテン語とイタリア語、無伴奏と大管弦楽、混声と女声、親密な4声と二重合唱。編成も言語も統一されていません。

それも当然で、この4曲は最初からひとつの連作として計画されたものではなかったからです。

4曲は最初から「4曲セット」ではなかった


《聖歌四篇》の最も重要な点は、4曲が別々の時期、別々の動機から生まれたことです。

最初に書かれたのは、ダンテの詩による《聖母マリアへの賛歌》。続いて、音楽雑誌に掲載された奇妙な音階への回答として《アヴェ・マリア》が作られました。

その約6年後、《ファルスタッフ》初演後のヴェルディが《テ・デウム》に取り組み、最後に《スターバト・マーテル》を書いています。

つまり、現在の曲順は作曲順ではありません。

指揮者イリーナ・ゲオルギエヴァは、イーストマン音楽学校に提出した研究で、4曲には共通の典礼的主題も統一された演奏編成もなく、後から一つの曲集としてまとめられたと指摘しています。

それでも全曲で聴くと、奇妙なほど強い流れが生まれます。

個人的な祈りに近い無伴奏曲から、十字架上の死、天上の聖母、そして全人類が神の裁きを前にする《テ・デウム》へ——規模も視野も、しだいに大きくなっていくのです。

これは最初から設計された交響曲のような統一ではありません。異なる4枚の宗教画を並べたとき、最後にひとつの大きな問いが浮かび上がるような作品集です。

ヴェルディは晩年に信仰へ戻ったのか

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宗教曲を語るとき、「作曲家は信仰を持っていたのか」という疑問がしばしば出てきます。

ヴェルディの場合、答えを単純に決めることはできません。

彼は幼い頃に教会でオルガンを学び、イタリアの宗教音楽の伝統を体の中に持っていました。一方、成人後のヴェルディは教会制度に批判的で、無神論者、不可知論者、懐疑主義者など、さまざまに評されてきました。

音楽学者スーザン・ラザフォードの著書『Verdi, Opera, Women』が示すように、ヴェルディと周囲の人々にとって「祈り」と「制度としての宗教」は同じものではありませんでした。

したがって、《聖歌四篇》を「晩年に信仰を取り戻した作曲家の告白」と断定するのは危険です。

むしろ重要なのは、疑いを抱く人間であっても、死、悲しみ、慈悲、救いという問題から逃れることはできなかった、ということではないでしょうか。

この作品で聞こえる祈りは、迷いのない人の祈りではありません。確信と恐れが同時に存在するからこそ、強いのです。

第1曲《アヴェ・マリア》——音楽雑誌の「難問」から生まれた祈り

《アヴェ・マリア》は、美しく素直な聖母賛歌を想像して聴き始めると驚かされます。

この曲の土台になっているのは、「謎の音階(scala enigmatica)」と呼ばれる非常に不自然な音列です。

音列は、ハ音から始めると次のようになります。

ド-レ♭-ミ-ファ♯-ソ♯-ラ♯-シ-ド

長調とも短調とも言い切れず、増音程を含み、どこへ向かうのか分かりにくい音階です。

この音階は、ボローニャの音楽家アドルフォ・クレシェンティーニが1888年にリコルディ社の『ガゼッタ・ムジカーレ・ディ・ミラノ』へ投稿し、読者に「これを和声づけできるか」と課題を出したことから知られるようになりました。

ヴェルディはその難問に興味を持ち、単なる和声課題ではなく、《アヴェ・マリア》の祈りを重ねたのです。

曲の中では、謎の音階が長い音価で、まずバス、次にアルト、テノール、最後にソプラノへと受け渡されます。その周囲を残りの3声が包み込み、調性の足場が絶えず揺れるような響きを作ります。

音楽の作り方は、定旋律を中心に声部を編むルネサンスの対位法を思わせます。しかし、そこから生まれる和声は驚くほど近代的です。

古い教会の壁の中に、まだ名前のついていない20世紀の響きが入り込んでくるように聞こえます。

ヴェルディ自身はこの曲を真面目な大作として扱わず、「力業」「謎解き」のようなものだと低く評価していました。出版にも消極的で、一時は匿名で出すことさえ考えていました。

その一方で、これが自身4曲目の《アヴェ・マリア》になることから、「これで死後に列福されるかもしれない」と冗談も書いています。

さらにボーイトは、悪を信奉するイアーゴの〈クレド〉を《オテロ》に書いたヴェルディが許されるには、アヴェ・マリアが何曲も必要だろうと冗談で返しました。

晩年の宗教曲をめぐりながらも、二人のやり取りには《ファルスタッフ》のような皮肉と笑いが残っているのが面白いところです。

聴きどころ

この曲では旋律の美しさを追うより、ひとつの音が置かれるたびに周囲の和音の意味が変化していく感覚を聴いてみてください。

祈りが安らぎを与えるというより、祈ることで人間の不安がかえって露わになる。その不思議な緊張感が《アヴェ・マリア》の魅力です。

第2曲《スターバト・マーテル》——十字架の下を一気に駆け抜ける

《スターバト・マーテル》は、十字架にかけられたイエスを見つめる聖母マリアの悲しみを歌った中世のラテン語続唱です。

同じ詩にはペルゴレージ、ロッシーニ、ドヴォルザークなど多くの作曲家が音楽をつけています。

ヴェルディの作品が異色なのは、長い詩を独立した楽章やアリアに分けず、混声合唱と大管弦楽による一続きの音楽として圧縮したことです。

ここには、独唱者という「主人公」はいません。

悲しむ母、十字架上の息子、それを目撃する人々、そして祈る私たち。そのすべてを合唱が引き受けます。

冒頭についてヴェルディは、初演準備を任せたボーイトに、悲しげで、空虚で、音を切り離したような声を求めました。

そこから音楽は、無伴奏に近い裸の響き、低声部のカンタービレ、突然噴き上がる管弦楽、半音階的な苦痛の動きへと次々に姿を変えます。

《レクイエム》の〈怒りの日〉を思わせる激しさもありますが、ここで描かれるのは世界の終末そのものではありません。ひとりの母が、目の前で子を失うという耐え難い時間です。

音楽は「Paradisi gloria(天国の栄光)」で大きな頂点へ向かいます。しかし、最後は勝利の大合唱にはなりません。

声とオーケストラは沈み込み、低い楽器が冒頭の記憶を引き取りながら、かすかな《Amen》へ消えていきます。

聴きどころ

劇的なフォルティッシモだけでなく、その直前と直後の沈黙に注目してください。

ヴェルディは音量で悲しみを説明するのではなく、「声が出なくなる瞬間」まで音楽にしています。

第3曲《聖母マリアへの賛歌》——ダンテが描いた光

《Laudi alla Vergine Maria》は、ダンテ『神曲』天国篇の最終歌、第33歌冒頭の祈りを用いた無伴奏曲です。

歌い出しは、次の有名な言葉です。

Vergine Madre, figlia del tuo figlio

「処女なる母、あなたの子の娘」という、矛盾するような言葉で聖母マリアを呼びかけます。

マリアはキリストの母でありながら、神によって造られた存在でもある。その神学的な逆説が、短い一行に凝縮されています。

編成は4声の女声無伴奏。初演では4人の歌手によって歌われ、現在は女声合唱で演奏されることもあります。

一聴すると、パレストリーナなどルネサンスの宗教曲を思わせる清澄な対位法が聞こえます。しかし、完全な復古ではありません。

声部の重なりには、ヴェルディ晩年特有の柔らかな半音階、予想外の転調、オペラの台詞のような言葉の抑揚が潜んでいます。

古い祈りの形を借りながら、ダンテの言葉を現代の人間の呼吸で歌い直しているのです。

大管弦楽を使う《スターバト・マーテル》と《テ・デウム》の間に置かれることで、この曲は作品集の静かな中心になります。

1898年5月、トスカニーニが指揮したトリノでの演奏では、3回の公演すべてでこの曲がアンコールされました。巨大な音響より、4人の声だけで作られた祈りが聴衆の心をつかんだというのは象徴的です。

聴きどころ

4声が一つに溶ける瞬間と、一人ひとりの言葉が前へ出る瞬間の違いを聴いてみてください。

合唱作品でありながら、4人の人物が互いの呼吸を感じながら祈っているような親密さがあります。

第4曲《テ・デウム》——賛美ではなく、恐れから始まる信頼

《テ・デウム》は、伝統的に勝利、戴冠、祝祭などの機会に歌われてきたラテン語の賛歌です。

題名だけを見ると、華やかな神への賛美を想像するかもしれません。

しかしヴェルディが見つめていたのは、祝典の表面だけではありませんでした。

彼は聖職者・音楽家ジョヴァンニ・テバルディーニへの手紙で、人間はやがて来る裁き主を信じ、救いを求め、最後には恐怖すれすれの悲しく切実な祈りへ至る、とこのテキストを捉えています。

曲は、男声が無伴奏でグレゴリオ聖歌を歌うところから始まります。

遠い時代の修道院から声が届くような冒頭です。その直後、「Sanctus」で二重合唱と大管弦楽が一気に開き、音響の巨大な建築物が出現します。

そこからヴェルディは、二つの合唱の応答、無伴奏の祈り、激しい半音階、突然の沈黙、フーガ的な重なりを絶え間なく切り替えます。

オペラの場面転換を知り尽くした作曲家が、舞台上の人物ではなく、祈りの言葉そのものをドラマの主人公にした音楽です。

終盤、神の裁きと救いをめぐる巨大な響きのあと、ひとりのソプラノが《In te, Domine, speravi——主よ、私はあなたに望みをかけました》と歌います。

これは華麗な独唱アリアではありません。合唱の中から一人の人間が立ち上がり、全人類を代表して最後の言葉を絞り出すような短い声です。

合唱がその言葉を受け取ったあと、音楽は明るい勝利の和音で断言するのではなく、低弦に残された低いミの音へ沈んでいきます。

「私は信じる」と勝ち誇るのではなく、「私はあなたに望みをかけた」とだけ言い残す。

ここに、ヴェルディ晩年の宗教音楽の核心があります。

ヴェルディは4曲の中でも《テ・デウム》に特別な愛着を持ち、この楽譜とともに葬られることを望んだと伝えられています。それが文字どおり実行されたかという逸話以上に重要なのは、彼自身がこの曲をきわめて私的な告白として扱っていたことです。

《聖歌四篇》では「合唱が主人公」

この作品には、《レクイエム》のようなソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バスの独唱者は置かれていません。《テ・デウム》の最後に短いソプラノ独唱が現れるだけです。

初演直前、ヴェルディはボーイトへの手紙で、主要な独唱パートがない以上、この作品では合唱が主役であり、言葉を明瞭に語らなければならないと強調しました。

オペラでは、強烈な登場人物がドラマを背負います。

《聖歌四篇》では、その役目を合唱全体が担います。

ただ美しい和音を響かせるのではなく、恐れ、嘆き、慈悲への願い、神への問いを、集団でありながら一人の人物のように発語する必要があります。

その意味でこの作品は、オペラを書かなくなったヴェルディの「最後の合唱劇」と呼びたくなる音楽です。

バス・低声部から聴く《聖歌四篇》

独立したバス独唱はありませんが、低声部は作品の扉を開く重要な役割を与えられています。

《アヴェ・マリア》では、謎の音階を最初に提示するのがバスです。最も理解しにくい音列を、低声部が動かない柱のように支え、その上で他の3声が和声を探します。

《スターバト・マーテル》では、男声低音域のカンタービレが、巨大な合唱の中に個人的な嘆きの色を作ります。ヴェルディは初演準備の手紙で、この部分は確かな少人数でもよいと考えるほど、声の質と歌い方を重視していました。

そして《テ・デウム》では、男声による無伴奏の聖歌が全曲の出発点になります。

つまり低声部は、前面に立つソリストではなく、古い祈りと現代の劇的音響をつなぐ「地面」です。

バスの響きが安定して初めて、その上にソプラノの光、大管弦楽の爆発、二重合唱の巨大な空間が立ち上がります。

初演は「4曲」ではなく《3つの聖歌》だった

《聖歌四篇》は1898年にリコルディ社から出版されました。

同年4月7日と8日、パリ・オペラ座でポール・タファネルの指揮により初演されましたが、このとき演奏されたのは《スターバト・マーテル》《聖母マリアへの賛歌》《テ・デウム》の3曲だけでした。

ヴェルディ自身の意向で《アヴェ・マリア》が外されていたため、演奏会では《Tre pezzi sacri——3つの聖歌》として披露されたのです。

ヴェルディは体調上の理由からパリへ行けず、代わりにボーイトがリハーサルを見守りました。

それでもヴェルディは遠くから、弱音の作り方、言葉の発音、音程、オルガンで合唱に最初の音を与えるべきかといった細部まで、何度も手紙や電報で指示を送っています。

83歳を超えた作曲家が、すでに十分な名声を得ていながら、一つのピアニッシモが実現するかどうかを心配し続けていたのです。

この執念もまた、《聖歌四篇》が余技ではなく、ヴェルディ最後の創作期を代表する作品であることを示しています。

初めて聴くなら、どこに注目すればよいか

初めて全曲を聴くときは、4曲に共通する旋律を探す必要はありません。

むしろ、声と空間の大きさが変化していく過程を聴いてみてください。

  • 《アヴェ・マリア》では、4声が不安定な音階の周囲に作る緊張
  • 《スターバト・マーテル》では、合唱と大管弦楽が生む身体的な悲しみ
  • 《聖母マリアへの賛歌》では、女声だけで作られる透明な光
  • 《テ・デウム》では、古い聖歌から二重合唱へ拡大し、最後に一人の声へ戻る構造

この4つを意識すると、ばらばらに見えた作品が、「人間は死と救いを前にして、どのように声を出すのか」という一つの問いでつながって聞こえてきます。

まとめ——最後に残ったのは、答えではなく祈り

《聖歌四篇》は、穏やかな宗教曲集ではありません。

《アヴェ・マリア》では、祈りが謎の音階の上で揺れます。

《スターバト・マーテル》では、母の悲しみが大管弦楽を突き抜けます。

《聖母マリアへの賛歌》では、ダンテの逆説的な言葉が4人の女声によって光へ変えられます。

そして《テ・デウム》では、神への賛美が、裁きへの恐れと「それでも望みをかける」という一人の声へたどり着きます。

ヴェルディが最晩年に信仰を得たのかどうかを、私たちが決めることはできません。

しかし、彼が最後まで祈りという行為を音楽の問題として考え続けたことは、この4曲からはっきり伝わります。

オペラ王が最後に残したのは、完成された答えではありません。

疑い、恐れ、悲しみを抱えたまま、それでも声を重ねようとする人間の姿でした。

それこそが、《聖歌四篇》が今も聴く人を引きつける理由だと思います。

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