グルック《オルフェオとエウリディーチェ》入門|あらすじ・聴きどころ・誕生の背景

どうも、氷見健一郎です。
愛する人を取り戻すために、その人の顔を見てはいけない。しかも、なぜ目を合わせられないのか、理由を説明することさえ許されない――。
そんな苦しい約束を中心に物語が進むのが、グルックのオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》です。
題材は、亡くなった妻を取り戻すために冥界へ向かう、ギリシャ神話の音楽家オルフェウス。イタリア語ではオルフェオと呼ばれます。神話の世界を舞台にしながら、描かれるのは、大切な相手と気持ちが通じ合わない不安や、失った人を思う悲しみです。
今回は海外の歌劇場、演奏団体、音楽出版社の解説をもとに、作曲者のこと、作品誕生の背景、あらすじ、そして初めて聴くときに注目したい音楽をご紹介します。
《オルフェオとエウリディーチェ》はどんな作品?

まずは、最初に作られたウィーン版の基本情報から見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原題 | Orfeo ed Euridice |
| 作曲 | クリストフ・ヴィリバルト・グルック |
| 台本 | ラニエーリ・デ・カルツァビージ |
| 初演 | 1762年10月5日、ウィーンのブルク劇場 |
| 言語・構成 | イタリア語・全3幕 |
| 主な登場人物 | 音楽家オルフェオ、妻エウリディーチェ、愛の神アモーレ |
この作品は、グルックの「オペラ改革」を代表する一作です。後にフランス語への改訂も行われたため、録音や公演によって言語や主役の声種、含まれる音楽が変わります。その違いについては、記事の後半で整理します。フェニーチェ劇場の作品紹介
グルックとは? 音楽でドラマを描こうとした作曲家
グルックは1714年に生まれ、1787年に亡くなった作曲家です。現在のドイツ・バイエルンに生まれ、イタリアでオペラ作曲家として活動を始めました。1741年にはミラノで《アルタセルセ》を初演。その後ヨーロッパ各地で仕事を重ね、1752年にウィーンに落ち着きます。
後年のパリでの活動を後押しした人物の一人が、マリー・アントワネットでした。彼女はかつてグルックの教え子だったのです。作曲家と王妃のつながりも、この作品がウィーンからパリへと広がっていく時代を知る、興味深いエピソードです。フィルハーモニア・バロック管弦楽団の作曲家紹介
グルックが大切にしたのは、舞台上の人物が何を感じ、何を伝えようとしているのかを、音楽によって明確にすることでした。
当時のイタリア・オペラでは、歌手の高度な技巧や華やかな装飾が大きな魅力になっていました。一方で、その見せ場がドラマの流れを停滞させてしまうこともあります。豊富なオペラ経験を持つグルックは、フランスの舞台音楽にも学びながら、歌と物語の関係を見直していきました。ドイツ・グラモフォンのグルック紹介
なぜ、このオペラが生まれたのか

《オルフェオとエウリディーチェ》は、作曲家一人だけの挑戦から生まれた作品ではありません。台本を書いたカルツァビージ、振付師ガスパロ・アンジョリーニらとの協働が、その背景にありました。ベーレンライター出版社の解説
歌、言葉、身体の動きを結びつけ、舞台全体で物語を伝える。その考え方が、この作品に息づいています。
たとえば、登場人物が会話するように歌う「レチタティーヴォ」にも管弦楽が伴い、心の揺れを支えます。合唱は嘆く人々や冥界の存在となり、主人公の行動に応答します。舞踊も、物語の世界を目に見える形にする役割を担います。ロンドン・コンサート・クワイアの作品解説
歌声が誰かの心を動かし、その結果として物語が進む。
音楽家オルフェオの神話は、このようなオペラを作るうえで、実にふさわしい題材だったと感じます。
なお、1762年の初演は、皇帝フランツ1世の「命名日」を祝う宮廷行事のために行われました。命名日は、名前に結びついた聖人の祝日を祝う習慣です。誕生日とは別の祝賀の機会だったのですね。OperaVisionの作品解説
あらすじ|振り返ってはいけない理由を、妻には話せない
ここからは、1762年のウィーン版をもとに、結末までご紹介します。
第1幕:妻を失ったオルフェオに、希望が与えられる
妻エウリディーチェを失い、嘆き続けるオルフェオ。その前に愛の神アモーレが現れ、冥界から妻を連れ戻す機会を与えます。ただし、地上へ戻るまで妻を見てはいけません。その理由も、彼女には説明できないのです。イングリッシュ・ナショナル・オペラのあらすじ
第2幕:冥界を動かす、歌の力
冥界への道を閉ざす恐ろしい精霊たちに、オルフェオは歌で訴えます。心を動かされた精霊たちは、ついに道を開きます。やがて彼は、穏やかな魂の世界でエウリディーチェと再会し、帰路につきます。ロンドン・コンサート・クワイアのあらすじ
第3幕:愛しているからこそ、守れない約束
目を合わせてくれない夫に、エウリディーチェは愛を疑い始めます。説明できないオルフェオは苦しみ、とうとう振り返ってしまいます。妻は再び命を失い、彼は絶望のアリアを歌います。しかし、アモーレが再び現れて妻をよみがえらせ、最後は愛の勝利が祝われます。イングリッシュ・ナショナル・オペラのあらすじ
二人の気持ちを考えると、この場面を単に「約束を守れなかった話」と片付けることはできません。オルフェオは妻を救うために顔を見られず、妻はその態度に傷つく。愛情があるのに、その愛情を伝える手段が閉ざされている。このすれ違いが、神話の人物を身近に感じさせます。
神話と違って、なぜ最後は救われるの?
オルフェウスの神話を知っている方は、幸福な結末に驚くかもしれません。
ボストン・バロックの解説では、その背景として、皇帝の祝賀上演という性格や、愛が勝利する理想的な世界を示す当時の考え方が挙げられています。悲劇の題材が、どのような場で上演されるかによって姿を変えたところにも、オペラの歴史が見えてきます。ボストン・バロックの作品解説
初めて聴くなら、ここに注目したい

1.冒頭の嘆き――名前を呼ぶ声に耳を澄ます
冒頭では、人々の葬送の合唱の間に、オルフェオが妻の名を呼ぶ声が響きます。ロンドン・コンサート・クワイアの作品解説
まず耳を傾けたいのは、その呼びかけです。名前を呼ぶ息の強さ、声の余韻、言葉の後に残る間。同じ名前でも、どう歌うかによって切実さが変わって聞こえます。
声楽の表現としても、音の高さや大きさに加えて、言葉がどのように相手へ向かうかを聴いていただきたい場面です。
2.冥界の場面――独唱に応えて、合唱が変わる
冥界を守る精霊たちの厳しい反応と、オルフェオの懇願。この対話は、作品の中心となる聴きどころです。
オルフェオの歌に寄り添うハープは、神話の竪琴を思わせます。彼の歌を受けて、精霊たちの態度が変化していく。その過程を、独唱と合唱のやり取りからたどることができます。OperaVisionの作品解説
合唱経験のある方には、特に注目していただきたいところです。主人公の訴えを聴き、それに応じることで、集団の意志が変わっていく。「相手の歌を受けて、自分たちの歌がどう変わるか」という視点で聴くと、この場面のドラマがぐっと鮮明になります。
3.《精霊の踊り》――歌のない時間にも、物語がある
静かで美しい音楽から入りたい方には、《精霊の踊り》がおすすめです。冥界の恐ろしさを通り抜けた先にある、穏やかな魂の世界。その空気を、管弦楽が描きます。
よく知られるフルート独奏を含む形は、1774年のパリ改訂で拡充されたものです。もともとの1762年版には、2本のフルートと弦楽器による、より短い舞曲がありました。セントルイス交響楽団の楽曲解説
ここは、一曲だけでも味わいやすい音楽です。ただ、冥界での緊張の後に続けて聴くと、その静けさが一層深く感じられると思います。歌手が歌っていない時間にも、観客の心が物語の次の場所へ運ばれていくのです。
4.《エウリディーチェを失って》――悲しみは、長調でも伝わる
妻を再び失ったオルフェオが歌うのが、有名なアリア《エウリディーチェを失って》(Che farò senza Euridice?)です。題名のイタリア語は、おおよそ「エウリディーチェなしで、私はどうすればよいのか」という問いかけです。
注目したいのは、この悲嘆の歌が長調を基調としていること。悲しい場面だからといって、音楽が必ず暗い響き一色になるわけではありません。ボストン・バロックの作品解説
なめらかな旋律の中で、言葉は行き場を失っています。僕はここを、旋律の美しさと、歌われている言葉の切実さを一緒に聴いていただきたいと思います。
美しい声で歌われるからこそ、取り戻せないものへの思いが胸に迫る。その表現を、歌手ごとに聴き比べてみるのも面白そうです。
なぜ、オルフェオを歌う声が公演によって違うの?
演奏を探していると、同じ主人公を女性歌手が歌っていたり、男性の高い声で歌っていたりします。これは、作品の改訂の歴史と関係しています。
代表的な版を整理すると、次のようになります。
| 版 | 言語 | オルフェオ役と主な特徴 |
|---|---|---|
| 1762年・ウィーン版 | イタリア語 | アルトの音域を歌うカストラートのための役。初演はガエターノ・グァダーニ |
| 1774年・パリ版 | フランス語 | 高い音域のテノール「オートコントル」に変更。舞踊などの音楽も拡充 |
| 1859年・ベルリオーズ編曲版 | フランス語 | ポーリーヌ・ヴィアルドのため、ウィーン版とパリ版の要素を組み合わせて編曲 |
初演時の配役はボストン・バロック、パリ版への改訂はOperaVision、ベルリオーズの編曲はベーレンライター出版社の解説で紹介されています。
現在は、メゾソプラノやカウンターテナーなどによるオルフェオも聴くことができます。ただし、「カウンターテナー」と、パリ版の「高いテノール」は別の声種です。また、複数の版の音楽を組み合わせる上演もあるため、歌手の声種だけで版を判断することはできません。ロンドン・コンサート・クワイアの上演史解説
初めて聴く際には、公演や録音の説明にある「上演言語」と「使用する版」を確認してみてください。《精霊の踊り》の長さや、主人公の声の印象が違う理由も分かりやすくなります。
まずは一曲から、その先は物語の流れの中で

最初の入口としては、静かな器楽曲を聴きたいなら《精霊の踊り》、歌の表現に触れたいなら《エウリディーチェを失って》が親しみやすいと思います。
OperaVisionの《オルフェオとエウリディーチェ》紹介ページには、アイルランド国立オペラの公演によるアリアや舞曲の抜粋映像が掲載されています。まずは短い映像で、作品の音や舞台の雰囲気に触れてみてはいかがでしょうか。
そして気に入ったら、ぜひ前後の場面も続けて聴いてみてください。
歌によって冥界の扉を開けたオルフェオが、帰り道では妻に言葉を尽くせない。この物語には、音楽が持つ力と、それでも避けられない人間の弱さが重なっています。
名曲を一曲知る楽しみから、声と声が応答して物語が動く面白さへ。《オルフェオとエウリディーチェ》は、そんなオペラの魅力に触れられる作品です。
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声楽家・氷見健一郎への演奏、レッスン、録音のご相談を承っています。特にバッハ、ヘンデル、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンなどの宗教曲・オラトリオにおけるバスソリストをお探しの方は、お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
