ベートーヴェン《第九》バスソロは何を歌っている?歌詞の意味と聴きどころ
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どうも氷見です。
年末になると、全国各地でベートーヴェン《第九》が演奏されます。
第4楽章で合唱が始まる前、まずバスソリストが歌い出します。
“O Freunde, nicht diese Töne!”
この有名なバスソロは、いったい何を歌っているのでしょうか。
この記事では、第九のバスソロの歌詞の意味と、音楽の中での役割、そしてバス歌手として感じる聴きどころをまとめてみます。
記事の後半では、実際に僕が歌った《第九》の動画も紹介します。
第九第4楽章では何が起きているのか

ベートーヴェン《第九》の第4楽章は、いきなり有名な「歓喜の歌」が始まるわけではありません。
まず冒頭で、かなり激しい音楽が鳴ります。
その後、第1楽章、第2楽章、第3楽章を思わせる音楽が順番に現れます。
しかし、それらはそのまま受け入れられるのではなく、低弦によるレチタティーヴォのような音型によって、否定されるように進んでいきます。
まるで、
この音楽ではない。
まだ探しているものではない。
と言っているようにも聴こえます。
つまり、第4楽章は単に「有名な合唱が始まる楽章」ではありません。
それまでの音楽を振り返り、問い直し、最終的に「歓喜の歌」へたどり着く、大きなドラマとして作られています。
その流れを受けて、人間の声として最初に登場するのが、バスソロです。
ここは単なるソリストの見せ場ではなく、第4楽章全体の方向を決める重要な場面だと思います。
“O Freunde, nicht diese Töne!” の意味

バスソロの冒頭で歌われる言葉は、シラーの詩そのものではなく、ベートーヴェン自身が付け加えた導入句です。
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern lasst uns angenehmere anstimmen,
und freudenvollere.
大まかな意味は、
おお友よ、このような音ではない!
もっと心地よく、
もっと喜びに満ちた歌を歌おう。
という内容です。
ここでバスは、ただ立派な声を朗々と響かせているわけではありません。
それまでの混乱や苦悩の音楽を受け止めたうえで、
このような音ではない。
もっと喜びに満ちた歌へ進もう。
と宣言しているのです。
つまり、第九のバスソロは、歓喜の歌へ向かうための入口です。
この一声によって、オーケストラだけで進んできた世界に、初めて人間の言葉が入ってきます。
バスソロは“歓喜の歌”への扉を開く声

第九の有名な「歓喜の歌」は、出だしから合唱で始まるわけではありません。
まず、バスソロが言葉で方向を示します。
その後、バスソロによって「歓喜」の旋律が歌われ、独唱、重唱、合唱へと音楽が広がっていきます。
バスソロは、第4楽章で最初に現れる人間の声です。
それまでオーケストラが探していたものに対して、人間の言葉として答えを出すような役割を持っています。
バスにとってこの場面は、声の大きさだけで勝負する場面ではありません。
最初の一声で空気を変えられるか。
言葉に説得力があるか。
その後の「歓喜」の旋律へ自然につなげられるか。
そこがとても大切だと思います。
僕が初めてこの曲に取り組んだとき、出番の前にオーケストラで第九のテーマが奏でられるところで、手汗が出るほど緊張したのを覚えています。
一度この曲を歌うと、街で「歓喜の歌」の旋律が流れているのを聴くだけで、どこか気持ちが落ち着かなくなってしまいました。
第九のバスソロは、歌う部分そのものは決まっています。
ただし、公演によって舞台上での待機の仕方はさまざまです。
第1楽章から舞台で待機している場合もあれば、歌い始めの直前に舞台へ入る場合もあります。
歌のコンディションだけを考えると、直前に入る方が整えやすい面もあります。
しかし、第1楽章から舞台にいると、第4楽章で歌い始める瞬間の意味がより深く感じられることがあります。
これまでの音楽を受け止めたうえで、
このような音ではない。
と歌う。
その責任感は、かなり重いです。
しかも、その前までのオーケストラの演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、こちらのハードルも上がります。
ある意味、バスソリストは第4楽章の入り口で、かなり大きなバトンを渡されているような感覚があります。
バスソロの歌詞の意味

冒頭の宣言のあと、有名な「歓喜の歌」の旋律が、まずバスソロによって歌われます。
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
大まかな意味は、
歓喜よ、美しい神々の火花よ、
楽園の娘よ。
私たちは炎に酔いしれながら、
天上的なあなたの聖域へ入っていく。
という内容です。
日本語で読むと、少し大げさに感じるかもしれません。
でも、ここで歌われている「歓喜」は、単なる楽しい気分ではありません。
人間同士が結びつき、より大きな喜びへ向かっていくような、非常に大きな意味を持った「歓喜」です。
シラーの詩《歓喜に寄す》をもとにしたこのテキストでは、「すべての人々が兄弟となる」という理想が歌われます。
第九のバスソロは、この「歓喜」の世界へ、最初に声を出して踏み込んでいく役割を担っています。
バス歌手として感じる難しさ

第九のバスソロは、低い声で堂々と歌えば成立する、という単純なものではありません。
最初の、
“O Freunde”
には、宣言としての強さが必要です。
しかし、その後の「Freude」の旋律では、重さだけでなく、明るさや広がりも必要になります。
難しいと感じる点は、たとえば以下のようなところです。
- 出だしの一声で空気を変える必要がある
- オーケストラの厚い響きの後、静寂の中で言葉を届ける必要がある
- 低音の響きや豊かさだけでなく、ドイツ語の明瞭さが必要
- “Freude”以降は、旋律としての柔らかさも求められる
- 力みすぎると重くなる
- 軽すぎると説得力がなくなる
- 合唱や重唱へつながる流れを作る必要がある
第九のバスソロは、威厳と明るさの両方が必要な場面だと思います。
「このような響きではない」と歌うところまでは、ある種の強さが必要です。
ただ、そのあと「そうではなくて、もっと喜びに満ちた歌を」と導いていくところでは、賛同を得るような柔らかさも必要になります。
僕自身は、ここで響きの質感を切り替えることを意識しています。
あくまでレチタティーヴォなので、高音自慢になる必要はありません。
古典の様式美を大切にしながら、言葉のリズムと意味に沿ったニュアンスを残すことを心がけています。
実はバスが映えるのはソロだけではない

第九というと、どうしても合唱の迫力や高音の華やかさに耳が行きやすいかもしれません。
でも、実はバスが映えるのはソロだけではありません。
独唱者4人による重唱の場面でも、バスはとても重要です。
低声がしっかり響いていると、音楽全体の立体感が大きく変わります。
バスが土台を作ることで、ソプラノ、アルト、テノールの声もより鮮明に聴こえてきます。
特にアンサンブルの場面では、バスの響きが安定していると、音楽全体に奥行きが生まれます。
第九を聴くときには、バスソロだけでなく、重唱の中で低声がどのように全体を支えているかにも注目してみると、かなり面白いと思います。
オーケストラでもバスと同じ旋律を演奏している場面がありますが、声だけのアンサンブルでも、バスがいることによって表現の説得力は大きく変わります。
演奏者側としても、土台の存在感があることで飛躍的に演奏しやすくなります。
他の声部の魅力も、より自然に引き立てることができます。
最後のカルテットでは、その効果がよく感じられます。
「dein sanfter Flügel weilt」の温かみは、低声の支えがあることで、より深く響いてくる部分だと思います。
公演で聴くなら、バスにも注目してほしい

第九をコンサートで聴くときは、合唱の迫力だけでなく、バスソロがどのように第4楽章を始動させるのかにも注目してみてください。
最初の一声で空気が変わり、そこから独唱、重唱、合唱へと音楽が広がっていきます。
その流れが見えてくると、第九の第4楽章がより立体的に聴こえると思います。
また、重唱の中でバスがどのように音楽の土台を作っているかを聴くのもおすすめです。
低声がしっかり響くと、音楽全体のスケール感がぐっと増します。
第九は、合唱が参加する作品としてよく知られています。
しかし、独唱者、とくに最初に声を発するバスにもぜひ注目していただきたいです。
実際に歌った《第九》の動画はこちら
実際に僕がバスソロを歌った《第九》の動画もYouTubeに公開しています。
記事で紹介した、
“O Freunde, nicht diese Töne!”
の入り方や、独唱から重唱、合唱へ広がっていく流れを、実際の演奏で聴いていただけると思います。
文章だけでは伝わりにくい、声の入り方やホールでの響きも感じていただけたら嬉しいです。
初めて聴く人への楽しみ方
初めて第九を聴く方には、第4楽章を次のように聴いてみるのがおすすめです。
- 冒頭の激しい導入を聴く
- これまでの楽章が回想される流れを感じる
- 低弦が「歓喜の主題」を探すように進むところを聴く
- バスソロが空気を変える瞬間に注目する
- “Freude” の旋律が少しずつ広がるのを追う
- 重唱で各声部が重なるところを聴く
- 最後は合唱の大きな歓喜を浴びる
第九は有名すぎる作品ですが、流れを意識して聴くと、ただの「年末の名曲」ではなく、非常に劇的な音楽として聴こえてきます。
まとめ|第九のバスソロは歓喜へ導く最初の声
第九のバスソロは、単なる低声の見せ場ではありません。
それまでの音楽を受け止め、
このような音ではない。
と方向を変え、歓喜の歌へ導いていく最初の人間の声です。
公演で第九を聴くときには、ぜひこのバスソロにも注目してみてください。
そこから独唱、重唱、合唱へと音楽が広がっていく流れを感じると、第九の第4楽章がより立体的に聴こえてくると思います。
そして、バスの響きが音楽全体をどのように支えているかにも耳を向けていただけると嬉しいです。
氷見健一郎は、ベートーヴェン《第九》、ミサ曲、オラトリオ作品などのバスソロをレパートリーとしています。
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