日本語オペラ《夕鶴》惣どを演じて|和の所作と言葉の役作り
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どうも氷見です。
今回は、團伊玖磨作曲のオペラ《夕鶴》について書いてみます。
以前、長野県伊那文化会館で上演された《夕鶴》で、惣どという役を演じる機会がありました。
《夕鶴》は、日本の民話「鶴の恩返し」をもとにした、日本語による代表的なオペラ作品です。木下順二の戯曲をもとに團伊玖磨が作曲した作品で、1952年の初演以来、国内外で800回を超えて上演されてきた日本オペラの名作として紹介されています。
西洋オペラとは違う、日本語の響き、和の所作、舞台上の間合いが求められる作品で、演じる側としても非常に印象に残っています。
この記事では、《夕鶴》という作品の魅力、惣どという役の面白さ、そして日本語オペラに向き合って感じたことをまとめてみます。
《夕鶴》とはどんなオペラか

《夕鶴》は、團伊玖磨が作曲し、木下順二の戯曲をもとにした日本語オペラです。
題材は、日本でよく知られている「鶴の恩返し」の物語です。
貧しい男・与ひょうのもとに、つうという女性が現れます。
つうは自分の正体を隠しながら、与ひょうのために布を織ります。
しかし、人間の欲や誘惑が入り込み、やがてつうの秘密が暴かれてしまいます。
新国立劇場は《夕鶴》について、民話に題材をとった木下順二の戯曲に團伊玖磨が作曲した「日本オペラ史上最高傑作のひとつ」と紹介しています。また、日本オペラ協会も、親しみやすい物語、美しい日本語台本、團伊玖磨の抒情性あふれる音楽に加え、現代社会にも通じる深い洞察を持った作品として紹介しています。
《夕鶴》は、日本語の美しさと、民話の幻想性、そして人間の欲や弱さが結びついた作品だと思います。
惣どとはどんな役か

惣どは、運ずとともに登場し、与ひょうを誘惑していく人物です。
つうが織る布に金銭的な価値を見出し、与ひょうの素朴な生活に、外の世界の価値観を持ち込んでいきます。
ここでいう「外の世界の価値観」とは、素朴な生活や愛情よりも、金銭や利益を優先する考え方です。
与ひょうとつうの世界に、商売、欲、計算、損得といった現実的な感覚を持ち込む存在が、惣どと運ずだと感じています。
物語の中心にいるのは、つうと与ひょうです。
しかし、惣どと運ずがいなければ、物語は悲劇へ向かって動き出しません。
惣どは、単なる悪役というより、人間の欲深さ、俗っぽさ、現実的な計算を舞台上に持ち込む役だと思います。
惣ど自身も、自分が直接動くより、運ずという人当たりの良い人物を介した方が物事がうまく進むことを知っているように見えます。
そう考えると、惣どはただ乱暴な人物というより、人の動かし方を理解している才覚ある人物にも見えてきます。
一方で、運ずもまた、自分一人では見ることのできない景色や、お金を与えてくれる惣どに魅力を感じている。
二人は、ある意味で良いビジネスパートナーのようにも見えました。
与ひょうを甘い言葉で誘惑しながらも、与ひょうが抜けていてなかなか思い通りに動かない。
そのたびに惣どが苛立って合いの手を入れたり、自らぶっきらぼうな言葉で直接説得していったりするところに、この役の面白さがあります。
悪役として演じる面白さ

惣どはいわゆる悪役のカテゴリに入る役だと思います。
お客さまからすれば、
あなたがいなければ、つうと与ひょうは幸せだったのに。
と思われる存在かもしれません。
ただ、惣どと運ずがいるからこそ、《夕鶴》の物語は動き出します。
人間の欲や弱さが入ってくることで、つうの純粋さや、与ひょうの揺らぎがより強く見えてくる。
物語における悪役は嫌われものというレッテルを貼られがちですが、悪役には悪役の魅力があります。
悪く見えるように演じようとするよりも、惣どにとっての「正義」や「合理性」を持って舞台に立つことが大切だと感じました。
彼にとっては、稼ぐこと、儲けること、与ひょうを引き込むことに筋が通っている。
その言葉に魅力がなければ、与ひょうも動きません。
稽古では、ファウストのメフィストフェレスのように、魅力ある言葉で相手を誘っていくような感覚を意識していました。
悪役だからといって、常に罵声を浴びせるわけではありません。
普段話すときは普通に話すし、相手を説得するときは、むしろ優しく、いい人のように装うこともあります。
自分の目的のために、いくつもの手札を使い分ける。
そのギャップが、悪役を演じる面白さなのではないかと思います。
実際に「あのシーンに見入った」とコメントをいただけたときは、とても嬉しかったです。
日本語オペラで言葉を届ける難しさ

《夕鶴》を演じて強く感じたのは、日本語で歌うことの難しさです。
外国語のオペラでは、母音や子音、ディクション、様式感を意識します。
一方、日本語オペラでは、言葉の意味が客席に直接届きます。
だからこそ、発音が曖昧だとすぐに伝わりにくくなります。
逆に、言葉を立てすぎると音楽の流れが硬くなってしまうこともあります。
《夕鶴》では、日本語のイントネーションや言葉の自然さが非常に大切です。日本オペラ協会の解説でも、團伊玖磨の音楽について、日本語のイントネーションを損なわず自然に歌い上げている点が紹介されています。
歌として成立させながら、日本語としても伝える。
このバランスが、日本語オペラの大きな難しさであり、面白さだと思います。
この公演に向けて、実際に團伊玖磨さんの指揮による《夕鶴》上演に携わった方に教えをいただきに行ったこともありました。
そこで印象に残っているのが、日本語の扱いについての細かな指摘です。
日本歌曲を歌う上では「が」を鼻濁音にする場面がありますが、大きな舞台で歌う際には、必ずしもそれが適しているとは限らないということ。
また、「を」を扱うときに、単純に「お」と発音するのではなく、軽く「ぅ」の成分を入れるということも、そのとき初めて知りました。
《夕鶴》では、いろいろな地方の言葉が混ざり合ったような独特の言葉が使われています。
そのアクセントやニュアンスがどう想定されているのかを考えると、テキストの魅力がどんどん増していきました。
セリフ的な部分を、マエストロの求める尺の中でうまく言い切り、音楽の流れにきれいにはまったときは、とても嬉しかったのを覚えています。
和装で舞台に立つ身体感覚

《夕鶴》では、衣装や所作も大切です。
実際に衣装と対面してみると、惣どは他の役よりも何枚も着込む形で、遠くから見ても身体が大きく、威厳のある男に仕上げていただきました。
和装は着込むのが大変です。
しかし、いざ着てみると身が引き締まる思いがあり、すっと役に入り込める力があるように感じました。
和装で舞台に立つと、身体の使い方が西洋オペラの衣装とは変わります。
歩幅、姿勢、手の置き方、振り向き方。
ちょっとした動きでも、普段の身体感覚のままでは不自然に見えることがあります。
惣どは、厳密な意味で美しい所作を見せる役ではないかもしれません。
むしろ、俗っぽさや人間臭さを持った人物です。
それでも、作品全体の民話的な空気を壊しすぎないことは大切だと感じました。
短い時間ではありましたが、日本舞踊の要素を参考に、悪役らしい古典的な振る舞いを取り入れてみました。
特に印象に残っているのは、指導してくださった方が女性だったにもかかわらず、ほんの一瞬の動きで、
これは悪そうな人だな。
というオーラを見せてくださったことです。
身体の使い方だけで、人物の性格がここまで伝わるのかと驚きました。
和装は、単に「似合う・似合わない」の問題ではなく、舞台上の身体の説得力に関わるものだと思います。
西洋オペラとは違う“間”と空気

《夕鶴》には、西洋オペラとは違う「間」があります。
大きく歌い上げるだけではなく、言葉と言葉のあいだ、沈黙、視線、立ち位置によって空気が変わります。
もちろん演出によって舞台の作り方は変わりますが、《夕鶴》という作品には、余白や静けさがとてもよく合います。新国立劇場の紹介でも、能舞台を思わせる装置や、空をイメージする背景、与ひょうの住む家だけがあるシンプルな舞台が特徴として説明されています。
惣どは、その静かな世界に外から入り込んでくる存在です。
だからこそ、周囲の空気をどう乱すか。
どのくらい現実的な匂いを持ち込むか。
やりすぎると作品世界を壊してしまい、抑えすぎると役の機能が弱くなってしまう。
そのバランスが難しい役だと感じました。
バス歌手として感じた惣どの面白さ

バス歌手として惣どを演じる面白さは、低声の存在感を使いながら、人物の俗っぽさや現実味を出せるところにあると思います。
バスの声は、王、僧侶、父親、老人、悪役など、重みのある役に使われることが多いです。
惣どの場合も、低声の説得力は必要です。
ただし、立派に歌いすぎると、人物の生々しさが薄れてしまうかもしれません。
欲深さ、ずるさ、現実的な計算、人間臭さ。
そういう要素を、声と言葉と身体でどう表すか。
そこに、この役の難しさと面白さがあると思います。
惣どは、ただ怖いだけの人物ではありません。
相手を動かすためには、柔らかく話すこともあれば、ぶっきらぼうに畳みかけることもある。
低声の重みを使いながらも、言葉の色合いを変えていく。
その使い分けが、バス歌手としてとても面白い役でした。
舞台写真について
舞台写真が手元にある場合は、プロフィールや出演歴でも紹介しています。
和装での所作、日本語での芝居、民話的な世界観の中で役を立ち上げる経験は、自分にとって大きな財産になりました。

今後につながる経験として
《夕鶴》で惣どを演じた経験は、日本語オペラに向き合ううえで、とても大きなものでした。
日本語で言葉を届けること。
和装で舞台に立つこと。
日本的な題材の中で、人物の欲や弱さを表現すること。
これらは、西洋オペラとはまた違う難しさがあります。
同時に、日本人の歌手として、日本語の作品に取り組むことの意味も感じました。
《夕鶴》のような作品に向き合うことで、自分の声や身体、言葉の使い方を見直す機会になったと思います。
まとめ|日本語オペラで役を生きること
《夕鶴》は、日本語の美しさ、民話の幻想性、人間の欲や弱さが繊細に描かれた作品です。
惣どは、その中で物語を動かす現実的な存在です。
演じる側としては、言葉、所作、間合い、声の使い方を細かく考える必要がありました。
日本語オペラは、母語だから簡単というものではありません。
むしろ、意味が直接届くからこそ、ごまかしがききにくい部分があります。
《夕鶴》惣どを演じた経験は、歌手としても、舞台人としても大きな学びになりました。
これからも、日本語作品や日本的な題材のオペラにも丁寧に向き合っていきたいと思います。
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